【有限会社鹿児島ますや】
米増 昭尚社長インタビュー
鹿児島大学農学部で畜産製造を学びました。卒業後、中堅のハム・ソーセージ企業に就職し、そこで商品開発の仕事を担当しました。その後退職し、大手飼料メーカーの系列会社に就職して、そこでも新商品開発の仕事を行いました。
大学での実習でハム・ソーセージを製造した経験がきっかけです。
それがとても面白く、自分でも新たな商品を開発したいと考えるようになり、ハム・ソーセージの会社に就職しました。そこで商品開発を担当させてもらいました。
大学の先輩で、当時鹿児島県の畜産部長だったK氏から、「このままでは黒豚が滅ぶ。何とかできないか」と話を持ちかけられたのがきっかけです。
当時30代前半だった私は、大手飼料会社の系列会社に勤めるサラリーマンとして鹿児島に駐在しており、「SPF豚(特定の病原菌を持たない豚)」の加工品開発を担当していました。
K氏から「鹿児島黒豚とSPF豚を食べ比べてみてくれ」と黒豚の生肉サンプルを渡され、何気なく焼肉にして食べてみたところ、衝撃を受けました。なんじゃこりゃ、と。本来の鹿児島の黒豚って、こんなに美味いんだと思いました。
黒豚の美味しさに魅せられた私は、さっそく黒豚を飼育する養豚農家の方々と連携体制をつくり、黒豚の生産加工事業を本社の役員に提案しました。しかし、黒豚は生産効率が悪く、この新規事業案は却下されてしまいました。「そんなことはやめて、東京に戻ってこい」と言わんばかりに、東京本社への異動の辞令まで出されました。
黒豚の生産者たちと一緒にやっていこうと話している中で、ここでやめて東京に帰ってしまったら、生産者を裏切ることになってしまいます。それで、独立してやることにしました。
私の父は公務員でしたが、「男なら自分で事業をやれ」と言われていたことも、独立の背中を押してくれました。こうして、鹿児島の黒豚を盛り上げるために、「鹿児島ますや」を創業しました。

戦前戦中の時代に、父方の叔父が「ますや旅館」を経営していたそうで、終戦までは非常に栄えていたと聞いていました。戦後は人の移動が少なくなり、旅館は閉鎖しました。亡くなった父から事業をしてほしいと言われていたこともあり、どうせやるならこの名前を使おうと思ったのが、「鹿児島ますや」を設立したきっかけです。
私の経営理念は、「伝統的食品加工技術から、革新的食品技術を創造し、本物の食品を通じて世界の平和に貢献する」です。
古来食べられてきた食品は、自然のものを活かした、身体に優しい食品でした。味噌や醤油、酢といった調味料、塩のみで漬け込んだ漬物などです。
しかし、高度経済成長に伴い「消費は美徳」と言われ、大量生産・大量消費の時代が来ました。今までの身体に優しい伝統的な手作りの食品が、様々な薬品や添加物によって、簡単に、見た目も良く、画一的に作れるようになりました。
私自身も学生時代から、手軽に食べられるインスタント食品を多く摂取していました。そして結婚し、独立してから生まれた子供の病気につながってしまいました。
それから、「本物の食べ物とは何だ」と自分に問い、石油由来の薬品や添加物を摂取すれば、人間が本来食べていないものである以上、病気になるのは当然だと理解しました。
自分の子供の病気がきっかけとなり、身体に悪いと思われるものは決して使わない、造らないと決意しました。

子供の病気がきっかけで無添加ハム・ソーセージの開発に取り組み始めました。
ハムはブロックなので、色さえ気にしなければ比較的簡単にできました。しかし、ソーセージは一度ミンチにした肉をつなぎ合わせなければならず、非常に苦労しました。
2年ほど試行錯誤して完成させましたが、ソーセージはもともと安価な食品であるうえ、増量剤を一切使わず本物の黒豚だけを原料としたため、一般的なソーセージの数倍のコストがかかりました。そのため、販売は数年見合わせていました。
すると、当時幼稚園に通っていた子供が、遠足で友達からもらったウィンナーについて「真っ赤なタコさんのウィンナーを食べた、美味しかった」と話すのを聞いた途端、妻が「やっぱり本物のウィンナーを子供たちのために販売しよう」と言い、販売を開始しました。
当時はほとんど無添加のウィンナーが出回っていなかったため、取り扱ってくれた小売店の店頭で試食販売を行いました。
しかし無添加食品への理解がまだ十分ではなく、「なんでお宅のような二流企業が一流企業の数倍の価格で販売するの?ぼったくりじゃない」といった声を度々いただきました。
それでも、一部の健康に気を付けているお客様に支えられているうちに、テレビや雑誌に取り上げられることが多くなり、ようやく高級スーパーやデパートに認めていただけるようになりました。

ここ10年ほどで無添加ソーセージは少しずつ増えてきましたが、その多くは原料の肉に温屠体(屠畜後すぐの、死後硬直前でまだ湯気が出るような状態の肉)を使用しています。
私も開発当初はなるべく新鮮な肉を原料としていましたが、屠場の日程の都合上、屠畜後数日から1週間程度の時間がかかることがありました。そこで、時間が経っても新鮮な肉と同様の食感が出せるソーセージづくりの技術を生み出しました。
すると今度は、食鳥会社の社長から「冷凍のムネ肉が倉庫に不良在庫として眠っている。これを何とかソーセージにできないか」と相談を受けました。さすがに、一度冷凍したものを薬品を使わずにソーセージにするのは難しかったのですが、これを解決することに成功しました。
さらに、東日本大震災の際には支援物資として、常温保存できる無添加ウィンナーの相談があり、天然羊腸に詰めた無添加の常温ウィンナーの開発にも成功しました。
これは大学の専門の先生から「できるはずがない」と言われましたが、分析の結果この技術が認められ、世界で唯一の技術であるとお墨付きをいただきました。これを「ヨネマスメソッド」と名付けました。
33年間、無添加で黒豚食品を造り続けていると、デパートのバイヤーから「黒豚と言いながら、白豚で造っている会社があるが、デパートに利益をもたらす会社だから、ますやより良い会社なんだよね」と言われたことがあります。
要するに、黒豚ではなく白豚を原料にして、表示だけ黒豚としてもよいから、そうしてほしいと言われたわけですが、この様なことは絶対にしませんでした。その結果、そのデパートとは取引停止になりました。しかし、人を騙してまで利益を得たいとは思いません。
同様に、無添加とうたいながら実は薬品を使っている企業もあります。
そういった会社ほど儲けていますが、そんなことをするならビジネスはしなくてよいと思っています。要するに、人を騙して利益を上げるような行為は断じてしません。
黒豚「短鼻豚」は、私が商標登録したものです。これは、独立のきっかけを作ってくれた大学の先輩から「これを食べてみてくれ」とすすめられた豚で、鹿児島黒豚の在来種にあたります。
しかし経済効率が極端に悪いことから、鹿児島県がアメリカのバークシャー種と掛け合わせて生まれたのが、現在県が認定している「鹿児島黒豚」です。
本来の短鼻豚は、赤身は筋繊維が細く、噛むほどに食感があります。脂身(かつては白身と呼ばれていました)は餅のような弾力があり、豚肉の中で唯一糖質を含むため甘みがあるのも特徴です。
これに対して、県認定の鹿児島黒豚は、こうした本来の良さを半分程度しか受け継いでおらず、満足できません。本来の黒豚の良さを受け継ぐ「短鼻豚」を、これからも守っていきたいと考えています。

東京のデパートで試食販売をしていた時に、ドイツ人の女性から「これはドイツの家庭で手作りしているソーセージに近いです」と言われたことが、非常に印象に残っています。
鹿児島の食文化には、本当に良いものがたくさんあります。しかしここでも経済効率が優先された結果、本来の鹿児島らしさとは違う食文化ができあがってしまいました。
例えば、鹿児島の醤油は非常に甘く、おそらく全国で一番甘い醤油だと思います。
なぜ甘いのかというと、醤油全体の2/3が甘味料だからです。昔は醤油の蔵がそれぞれ独自の醤油を製造していましたが、昭和30年代に組合ができ、そこで全ての蔵の醤油をまとめて造るようになりました。
その際、特徴を出すために甘味料を加えたところ、これが高い評価を得ました。そのため、他の蔵も次第に甘みを強くしていった結果、鹿児島の醤油はどんどん甘くなり、現在の状況になってしまいました。
甘すぎる醤油は素材の味を損ない、料理としての評価は低くなります。
そこで弊社では30年以上前から、焼豚に使う醤油には本来の醤油(生醤油)に北海道羅臼産の昆布を漬け込み、三河味醂で味を調え、樫の木炭で焼き上げたものを使っています。
これは変な調味料でごまかすのではなく、黒豚の素材を活かすための製法です。昔から言われてきた、餅のような黒豚の良さを引き出すために、当たり前の生醤油、自然の昆布、本物の味醂で味付けした伝統的な製法の焼豚をはじめとする無添加加工品を、これからも作り続けていきたいと思っています。
肉の無添加加工から始まり、様々な原料の肉を加工するようになりました。
最初に魚に取り組んだきっかけは、新潟県の方からのご相談でした。「産卵のために川を遡上した鮭が、産卵後に死んでしまう。それが『猫またぎ』とか『ほっちゃれ』とか言われて廃棄されているが、これを何とか活かせないか」というご相談です。
「ヨネマスメソッド」を使ってそれを生ハムやソーセージに仕上げました。それは現在、佐渡島の「佐渡の生ハム」として流通しています。
これをきっかけに全国の水産業の方から声がかかるようになりましたが、特に離島では、獲れた魚の半分程度が捨てられている現場を実際に目にしました。
なぜ捨てるのかというと、旬の時期になるとどこでも同じ魚が獲れるため市場で値が付かない、あるいは数が少なく流通が難しい、小魚だから、といった様々な理由がありました。しかし、一般の消費者が小売店で購入する時には結構な価格になっているため、非常に矛盾を感じました。
日本の自給率が低い中で、貴重なたんぱく源である魚が捨てられています。
これを解決するために、一度魚を冷凍し、それを解凍してから無添加のソーセージなどを試作したところ、いずれもうまくできました。
これとまったく同じことが、獣害として捕獲されたジビエについても言えます。田畑を荒らす鹿や猪も、捕獲後の処理次第で十分に食料として使えます。
水産もジビエも、処理施設、特に冷凍庫が充実すれば、未利用資源をうまく活用し、食料として活かすことができます。そのため、行政にも働きかけている最中です。
未利用資源には、未利用魚やジビエのほかにも、例えば魚の中骨の肉や、豚・牛・馬などの筋挽きした部位があります。
うまく処理すれば美味しい料理になるのですが、これがなかなか実現できません。少し手間はかかりますが、人手を借りて子供食堂や学校給食に提供できれば、これまでお金をかけて処分してきたものが活かされ、日本の将来に役立つと確信しています。
単なるお金儲けだけの事業はしません。儲けるために手を抜いたり、化学薬品を使ったりすることは絶対にありません。将来の子孫や日本にとって意義のあることを残すために事業を行っています。
自分のやりたいことが世のため、人のためになっているかを、若いうちから意識するべきだと思います。他人への感謝の気持ちを常に持ち、自分の仕事を俯瞰的に見ることが大事です。
単なる金儲けのために食品を製造するのではなく、人の健康に貢献する食品を製造すると常々考えています。
また、以前ドイツ人のお客様から「ドイツの手作りソーセージのようだ」と言っていただいた時の嬉しさを、今も励みにしています。本物は必ず生き残ると信じており、これからの中小企業は本物しか生き残れない時代になると感じています。
① 今日一日 起こらず 恐れず 悲しまず 正直 親切 愉快に 力と 勇気と 信念とをもって 自己の人生に対する責務を果たし 常に平和と愛とを失わざる 立派な人間として生きる事を 厳かに誓います
② 威風堂々
日本の地方は人口が減少し続け、首都圏に人が集まっています。
このままでは、日本は心不全を起こしてしまうと思われます。しかし、食料を供給するのは地方です。過疎地にこそ加工場を作り、雇用を生み、若者が元気に過ごせる街を作りたいと考えています。
黒豚は、鹿児島から本物の黒豚がいなくなるとの思いから独立するきっかけとなり、その存続には微力ながら貢献できたと思っています。
その黒豚を原料としたハム・ソーセージを製造する過程で子供が生まれましたが、親である私たちが食べてきた過去の食べ物が原因で、その子が病気になってしまいました。
これを克服するために、ハム・ソーセージをはじめ、カレーやコロッケ、ラーメン、餃子などの食品を、すべて無添加で加工するようになりました。
そのうちに、この技術を知った方々から魚やジビエの無添加加工を依頼されるようになり、日本でいかに多くの未利用資源が捨てられているかという現実を知ることになりました。
これが今までの流れであり、こうしたつながりの中で無添加加工技術「ヨネマスメソッド」が生まれました。これから、本格的に日本を元気にする仕事ができると感じています。

人は食べていかないと生きていけません。
しかし、単に空腹を満たせばよいという考え方は望ましくありません。食べるのであれば、昔から食べられてきた安心・安全なものをバランスよく摂取する必要があります。
そうすれば、自然と自己免疫力が働き、病気に負けないよう身体を守ってくれます。
日本の食料自給率は低いにもかかわらず、食べることのできない子供たちが大勢いる一方で、食料廃棄物の量は先進国の中でも高い水準にあります。
このような矛盾の時代に生きる私たちは、将来の人たちのために、この矛盾を解決しなければならないと思っています。

企業名 : 有限会社鹿児島ますや
代表者 : 米増 昭尚
所在地 : 鹿児島県姶良市宮島町29-3
設立 : 1996年
事業内容: 無添加食品製造・販売・技術指導
URL : https://www.kurobuta-ichiban.co.jp/