【中野BC株式会社】
中野幸治社長インタビュー
家業であったためです。
兄弟は姉が1人居るが、小さな頃から後継ぎという意識の元で生活をしていました。
高校から和歌山を離れ、東京に。高校、大学、大学院を経て、宝酒造に入社。伏見工場で製造を2年、東京にて営業を2年経験しました。
その後、10ヵ月間、中小企業大学校東京校で経営後継者コースを受講。同じような志を持つ経営後継者と共に帝王学を学んで家業を継ぐために2005年和歌山に戻りました。
創業者は祖父です。幼少の頃から酒蔵に憧れていた祖父は、20歳まで大工の見習いをやっていたが、酒蔵になる、という熱い想いを叶えるために、醤油製造から創業。和歌山で濃い口醤油しか作れないと、専門家すら言っていた中、薄口醤油の製造に成功しました。後発ながら、薄口醤油で資金を貯めていき、念願の焼酎製造を始めることになります。
周りをよく見る・知るコトで、自分達に足りていないコト、足りている(強み)コト、もっと伸ばしていく、などをヒント、刺激を受ける事がモチベーションを高める事につながっています。
例えば、社内のスタッフの状態や、異業種でも同じ年代の経営者や後継者、先輩経営者がやってきた事、やろうとしているコトをよく見るようにしています。また、社会情勢やトレンドというと流れも意識するようにしています。
「人」を見て、「人」を大切にする事です。
企業が生き物であるのは、「人」の集合体だからこそ。人が活きてこそ、組織、チームとして機能し、中小企業は元気が出る。経営者だけの意見でなく、スタッフのみんなが考えて、同じ方向を向いて向かっていく事で、強い力となります。
「何事も工夫に勝るものはなし」と創業者である祖父が残した言葉を大切にしています。
縦・横・十文字、様々な角度から、物事を見る事で、違った解釈や理解となり、違ったアクション、アプローチに変わっていく。だからこそ、スタッフを大事に、時代のせいにせず、今出来る事をきちんとこなしていき一歩一歩積み重ねていく事が、重要と感じています。
2002年に中野酒造(株)、富士食研(株)、および紀州ワイン(株)が合併し中野BC株式会社と社名変更。その際に企業ロゴと社名を刷新。僕は2005年に家業を継ぐために戻ってきたため、戻って来た際にはすでに刷新されていたのですが、「FLY TO QUALITY」と企業ロゴにも入っているように、常に妥協しない、誰にもできない技術開発を繰り返し、徹底したモノづくりをしていく気持ちが詰まっています。
社訓「手の届きそうな夢を持ち技術・研究・開発で世界に通ずるニッチトップのモノづくりを目指す」
技術研究開発型企業を目指し、常に誰にもできない独自の技術開発を目指しています。
「僕たちにしか出来ないコト」をモットーに、自分達の技術で他社との差別化をしていきながら、資本のある大手企業と勝負するような商品でなく、僕たちの技術や土地を活かした、オリジナリティーのある品質の高い商品開発を目指していく。そういった、唯一無二のモノづくりを目指しています。
酒類(清酒・みりん・焼酎・梅酒等のリキュール類)の製造・販売と、梅果汁・梅エキス、青みかん粉末等の健康食品や、エッセンシャルオイルの製造・販売がメインとなりますが、ほとんどの主たる原料は和歌山で産まれた素材を使っています。ウメ、ミカン、柿、山椒など、様々な和歌山の宝物である農作物を、研究開発により、素材に付加価値を上げ、高付加価値商品に仕上げていく。また酒類以外にも、酒類でも様々な商品開発をしているため、酒類のみでなく、様々な角度から研究開発が出来る体制をとっています。
和歌山のモノを使い、地元の農家さんや、地域に貢献していく事していきたいと考えています。
まずは梅酒や健康食品においても、品質の良いウメの調達力は地元だからこそ。その伝統と技術を継承していきながら、常に品質の高い梅酒、健康食品を作っているコト。梅酒においては、約30種類の梅酒がありますが、17年前に家業を継ぐために戻って来て、まず着手したのが梅酒カテゴリーです。弊社の研究所のスタッフの力を借りて、様々な試作を重ねて、お客様のニーズの違いによる商品開発をしてきました。それが今や、アジアを中心に世界中、約30カ国くらいで弊社の梅酒が出荷されるまでなりました。
当たり前だけど、どの商品も、日本全国、世界中のお客様が納得して頂ける、そんな商品開発、商品提案をしています。
3000坪の日本庭園を有し「日本庭園のある酒蔵」として、広大な敷地で、日本らしさを満喫して頂ける観光ルート。コロナ前には年間5万人の方にお越し頂いておりました。
春には桜、5月には藤が咲き乱れ、四季折々の草花を1年中通してお楽しみ頂けます。
また白鳥が2羽と、大量の鯉が、皆様をお出迎えします。
サービスとも異なるかも知れませんが、弊社の強みはウメ。その中で、梅酒においては30種類以上の梅酒があり、ウメ=中野BC、ウメ=健康をキーワードに、様々なニーズにお応え出来るラインナップを有している、というのは他社との差別化になります。
ギスギスした組織とは違い、弊社はアットホームな組織を目指しています。祖父の時代から、人を大切にする企業であり、究極のファミリー企業で、世界を目指す。
同僚を蹴落とす、でなく、経営者の鶴の一声でみんなが動く、でなく、企業も組織も商品も、みんなで創り上げていくことを大切にしています。
お互いが、お互いを理解し、相手の立場に立てる配慮が出来る。チームのコミュニケーションが円滑であるコト、また結束力が強い事で、様々な苦境を乗り切り、みんなでアイデアを出しながら、全員参画で組織が一体化した組織を目指していきたいです。
「命令」でなく、自発的に、みんなが考えてくれる、そんな組織体にしていきたいですね。
「安心して仕事が出来る」。楽しい事ばかりでないのが仕事ではありますが、会社に来るのが嫌になる。そんな仕事ではなく、好き放題出来るというわけではないが、仕事を生きがいに、楽しく仕事をしてもらえるような環境をこれからも作っていきたいと考えています。
様々なアイデア、様々な意見を伝えれる人。
受け身、指示待ちの受動的な人でなく、能動的に自ら動ける、提案出来る人でありたいし、全員がそうなり、組織が動いていけるようになっていきたいです。
家業を継いで戻って来た時に、梅酒の開発に力を入れたいと言っても、地元和歌山では「梅酒は作るもので買うものではない」という地元ならではの意識からか、また、社内の酒蔵=日本酒という先入観が強かったからか、梅酒に力を入れる事に賛成してくれる幹部は当初少なかったです。
そんな中、様々な商品開発を研究所のスタッフが信じてやってくれ、また女性が商品パッケージなどを考えてくれて、1つの大きな柱として成長出来たのは、想いがあったからこそだし、その想いに賛同してくれた人がいたからこそ。
みんなに想いを伝える、みんなの想いや意見を聞きながら、全員の力に変えていく事が、企業が動き出す事につながると言うことを学びました。
全世界の方々に美味しいと健康を。酒類においては、30カ国の国に輸出をしていますが、ワインが世界中に広まっているように、梅酒、日本酒、蒸留酒を中心に日本の高品質であり、品質の高さを世界中の人に知ってもらいたいと思っています。
また健康食品部門においては、弊社は梅を煮詰めて出来る梅エキスが基幹商品でありますが、梅エキスで世界中で「健康・長寿」になってもらえ、幸せに笑顔あふれる生活をサポートしていきたいです。
祖父が憧れから立上げた酒類事業。そして父が多角的に成長させた健康食品事業、素材事業時代に合わせた変化、変革をしていきながら、既存事業の「深化」と、「進化」していける企業を目指していきたいと思います。
このコロナ下では、観光事業もストップ、酒類事業もお酒を飲めない状況になり、厳しい戦いを強いられました。ようやくコロナが明けて、これから経済が動き出す、海外との距離も近くなる時期ですが、更に企業が安定して強い状態が続くように、新規事業も踏まえながら事業を成長させたいです。
企業名 : 中野BC株式会社
代表者 : 中野 幸治
所在地 : 和歌山県海南市
設立 : 1961年11月
従業員数: 計118名※2023年6月現在
事業内容
酒造部門
日本酒、梅酒、焼酎など様々な酒類の製造・販売を行っております。
ヘルスケア部門
ウメ・カキ・ミカンなど和歌山の特産品を使った健康食品の製造・販売
うめ原料部門
和歌山県の特産品である“梅”に特化したうめ加工製品の製造・販売を行っております。
観光部門
酒蔵見学の案内を行っております。
研究部門
原料製品の開発・製造などを行っております。