【株式会社HELPUSH】
寺田 ユースケ社長インタビュー
寺田ユースケ(本名:寺田 湧将) 株式会社HELPUSH 代表取締役CEO/車椅子インフルエンサー「寺田家TV」 1990年、愛知県名古屋市生まれ。先天性の脳性まひにより、首から下が不自由。 関西学院大学卒業後、イギリス留学を経て、吉本の車イス芸人、歌舞伎町の車イスホスト(Smappa!Group APiTS)、株式会社CAMPFIRE(カスタマーサポート担当)など、多様なキャリアを経験する。 2017年より、車椅子を押してもらいながら47都道府県を旅する「車椅子ヒッチハイクの旅/HELPUSH(ヘルプッシュ)」を実施。 その様子をYouTubeチャンネル「寺田家TV」(登録者9.5万人)で発信し、全国各地のメディアでも多数取り上げられるなど、大きな共感と反響を呼ぶ。
その後、子育てを機に、妻の実家がある長野県長野市へ移住。ユニバーサルツーリズムの普及を目指す「MinQ(みんきゅ〜)」プロジェクトを推進。 2025年4月には、「人生が広がるきっかけは、いつも外出した先に。」を理念に掲げ、外出支援サービスを展開するスタートアップ「株式会社HELPUSH」を設立。代表取締役CEOに就任し、移動に制約を抱える人々の外出を支える仕組みを全国へ広げるべく、日々奔走している。 著書に『車イスホスト。』(双葉社/2017年)がある。 【株式会社HELPUSH 実績】 2025年4月 会社設立 2025年5月 長野県広報パートナー就任(※寺田家TVとして) 2025年6月 東京都主催 ASAC 第20期 採択 2025年7月 寺田倉庫「Creation Camp TENNOZ」第2期 採択 2025年7月 名古屋市ブランドパートナー「やさなご」参画
私は生まれつき脳性麻痺で、現在は車椅子で生活しております。19歳までは足を引きずりながら歩いていましたが、20歳の時に車椅子に乗り始め、それまで自分の障害のことでネガティブになっていた性格が、車椅子に乗ったことで人生が広がりました。
イギリスに1年間留学し、帰国後は吉本でお笑い芸人に挑戦しました。その後、新宿の歌舞伎町で車椅子ホストを経験しました。私自身お酒があまり飲めなかったので、「終電で帰るお酒の飲めないホスト」というスタイルでした。
その後、お笑い時代の経験からテレビの世界で活躍することを諦めきれず、自分でプロジェクトを立ち上げようと考え、「車椅子を押してもらいながら日本一周をする」という車椅子ヒッチハイクの旅を企画し、実行しました。2017年から2020年にかけての3年間で、1,000人以上の方々に直接車椅子を押していただき、47都道府県を旅しました。
その旅の最中に、人が助けてくれる様子を多くの方に届けたいと思い、当時交際していた妻と一緒に YouTubeチャンネル「寺田家TV」を立ち上げました。その後、YouTuberとして活動し、チャンネル登録者数が10万人になりました。
お笑い芸人、歌舞伎町ホスト、車椅子ヒッチハイカー、そして登録者10万人を達成したYouTuberとして、自分で言うのもなんですが、本当にバイタリティあふれる活動をしてきました。
しかし、子どもが生まれたことをきっかけに、妻の地元である長野県長野市に移住しました。これまで名古屋では両親のサポートがあり、関西学院大学に通っていた兵庫時代は駅が近く一人で移動できました。東京でも電車を使いやすい地域に住んでいました。
ところが長野では車での生活が主流でした。車がないと移動できず、移住1年目が長野でも珍しい10年に一度の大雪と重なり、車も運転できない私は本当に家から出られませんでした。
妻に車の運転を頼むしかなく、子どももまだ1歳で手がかかる時期だったため、妻に頼むのも申し訳なく感じるようになり、外出できない状況になりました。さらに、長野には気軽に連絡できる友人もいなかったので、「妻も子育てで忙しいし、誰にも頼れない」と感じ、精神的にかなり追い詰められました。
その時期、YouTubeの再生回数もどんどん落ち、仕事でも大きな失敗をするなど、外出できなくなったことをきっかけに少しずつ歯車が噛み合わなくなり、負のスパイラルに陥ってしまいました。
引きこもり気味になっている私を見て、妻が長野の南箕輪村に連れて行ってくれました。そこは、年齢や障害に関係なく楽しめるユニバーサルツーリズムの概念を推進している村で、具体的には車椅子のまま入れる温泉や、体の不自由な人でも泊まれるコテージがありました。
そうした素晴らしい場所に連れて行ってもらい、大自然の中でこうした経験ができて良かったと思いました。さらに日本一の星空が見られる阿智村にも行き、本当にプラネタリウムのように星がきれいな場所を車椅子でも訪れることができ、やはり外出は素晴らしいと思うようになりました。
私の場合は、妻が再び外出するきっかけを作り、サポートしてくれたおかげで外に出ることができました。こんなにバイタリティのある活動をしていた自分ですら、自由に外出できないと精神的に追い詰められることがわかったので、世の中で外出できずに苦しんでいる人のために、何か外出の仕組みを作れないかと起業を決意しました。

最初は妻が「MinQ(みんきゅ〜)プロジェクト」という任意団体を立ち上げ、ユニバーサルツーリズムや外出の自由を広めようと、クラウドファンディングで資金を集めて活動しようという話になりました。その時はまだ、私は妻の活動に参加している一人という立場でした。
LIFULLの井上会長もいらっしゃるバーベキューで、MinQプロジェクトについて話したところ、「それって会社でできるんじゃない?」という一言をいただきました。
その瞬間に「やってみたい」という強い気持ちが湧きました。そこからすぐに、妻や現在CCOとして一緒に活動している安田に声をかけ、「会社にしてみよう」という話になりました。株式会社をどうやって作るのかもわからないところから、とにかくやり始めました。それが2024年12月で、年明けの2025年1月には会社設立を決め、4月には実際に登記しました。
そこから本当にありがたいことに、6月には東京都が主催する青山スタートアップアクセラレーションセンター(ASAC)というシード期の起業家支援プロジェクトに、192社の応募の中から12社の一つとして選んでいただきました。そこで事業をどう進めていくかをしっかりと学ばせていただき、7月には寺田倉庫さんのインキュベーション事業「Creation Camp TENNOZ」の二期生として採択されました。10月からは2年間の伴走支援がスタートしており、1,000万円の出資をいただく予定で進めています。

現在はまだ事業構築中のため、どこまで具体的にお話しできるか悩ましいところですが、私の経歴は、車椅子でお笑い芸人、歌舞伎町ホスト、ヒッチハイクの旅、そして車椅子YouTuberと、様々なことに挑戦してきました。車椅子YouTuber時代は、子どもが生まれたこともあり、YouTube活動と並行して都内のIT企業でサラリーマンもしていました。
一言で言うと、人生に無駄な経験は一切ないと思うほど、これまでの全ての経験が今の事業に生きています。HELPUSHは、私がこれまで様々なことに挑戦してきたこの35年間の集大成だと思っています。
自分の人生を振り返ると、何度か落ち込んだ経験があります。その瞬間には何があったかというと、うまく移動できなかった時なのです。例えば、高校生までは名古屋の実家で暮らし、両親のサポートもあり、祖父が車で学校まで送り迎えをしてくれていました。家と学校の往復だけの生活だったので、実は名古屋のことはあまり知りません。
しかし、両親が「それだと社会に出た時に生きていけない」と考え、一人暮らしをさせようということになりました。ありがたいことに関西学院大学に合格できたので、18、19歳の時に兵庫県で初めて一人暮らしを経験しました。当時はまだ車椅子に乗っておらず、足を引きずりながら歩いていましたが、大学は高校の10倍以上歩かなければなりませんでした。
講義に行こうにも遠すぎて、歩くだけで汗が大量に出るので、真冬でも真夏かと思うほど汗をかき、それが恥ずかしくて。授業が始まる前に多目的トイレに駆け込み、Tシャツが乾くまでずっとトイレの中にいたこともありました。当然、なかなか大学の友達の輪に入ることができず、移動が自由にできないことがきっかけで人生そのものも落ち込んでしまい、部屋はゴミ屋敷のようになり、単位もたくさん落としました。その時、周りの人や両親から「車椅子に乗ってみたら」と言われました。
車椅子に乗ってみると、移動がこんなに楽なのかと驚きました。まるでシンデレラがかぼちゃの馬車に乗ったかのように、人生が前向きになりました。あの時、車椅子に乗った瞬間に移動できるようになり、それによって明らかに私の人生は広がったのです。イギリスに1年間留学したり、車椅子でお笑い芸人をやってみたり、歌舞伎町でホストをしたり、ヒッチハイクで日本一周をしたりと、様々なことに挑戦できました。移動の不便を車椅子が解決してくれたことが、今になって生きているのだと、HELPUSHを始めて改めて実感しました。
車椅子でお笑いをやったこと、歌舞伎町でホストをやったこと、日本全国を車椅子でヒッチハイクして巡ったこと、全てが繋がっています。一つ言えるのは、車椅子ヒッチハイクの旅で47都道府県を巡った際、車椅子の人を受け入れてくれる街には共通点があったということです。そこには「名物おじさん」のような、ユニバーサルツーリズムや車椅子の受け入れに前向きに笑顔で取り組むキーマンがいました。その人たちが道を歩くと、必ず様々な人が声をかけるのです。
まさに「歩くバリアフリー」のような人がいるのです。そうした人たちがいる地域のように、街を一つずつ「HELPUSHな街」にしていきたい。助け合いが自然と生まれるような、そうしたキーマン一人の存在で街全体が変わっていく。私たちが今作ろうとしている「外出中のサポーターを手配できる仕組み」で、「いつも隣にHELPUSHがある世界」を、車椅子ヒッチハイクで見た光景を仕組みとして全国に広げていきたいと思っています。
この名前は実は2回目なんです。以前、車椅子ヒッチハイクで日本一周するプロジェクトの名前がHELPUSHでした。当時、私はまだ20代で、有志のメンバーがサポートしてくれてプロジェクトが立ち上がりました。その時は「一般社団法人やNPO法人にしよう」という話まで出ていましたが、未熟だった私自身がそれを完遂できず、YouTuberとして全国を旅する道に進みました。しかし、今回会社を立ち上げるにあたり、当時のコアメンバーの皆さんにこの名前を使っていいか尋ねたところ、快く承諾してくれました。
私は生まれた時から障害があり、多くの人に助けられて生きてきました。だからこそ、このヘルプッシュという名前に「プッシュ(後押し)」という言葉を入れたのです。今度は私が社長として、多くの人たちの人生を広げるきっかけを「外出」で作っていく。私自身がプッシュする側に回りたい、という思いが込められています。
一言で言うと「お出かけ・外出支援」の会社です。外出中のサポーターを手配できる仕組みを作り、「いつも隣にHELPUSHがある」という状況を作りたいと考えています。
車椅子ユーザーや移動に不安のある高齢者のユーザーさんが、はじめてのおでかけに挑戦したいとか、どうしてもいきたい場所や、もう一度行きたい場所など「特別なお出かけ」にHELPUSHのサービスを使っていただけたらと。サポーターと一緒にプライスレスなお出かけを叶えていきます。
そのために、全国の観光協会や自治体と連携し、ユニバーサルツーリズムという概念をその街にインストールしていき、47都道府県どこに行ってもHELPUSHのサポーターがいてお出かけできる、そんな世界を作りたいです。

まずは「稼ぐ」ということです。一般社団法人やNPOという選択肢もある中で、我々はスタートアップとしてこの事業に挑戦しています。だからこそ、お金を稼ぐことにしっかり向き合いたいです。
私のような車椅子ユーザーが観光地に行くと、友達に迷惑をかけてしまうという不安が大きいという経験も重なります。エレベーターを探し回ったり、階段で車椅子を持ち上げてもらったり、みんなの貴重な時間を奪っているのではないかというネガティブな感情がありました。
しかし、この事業でサポートしてくれる人にもお金が入り、観光地にも車椅子の人が来ることで手間が増えるのではなく、お金が落ちて潤い、活性化していく。人様の善意に頼るだけではなく、その好循環を作れるように、全体像を事業として見ていかなければなりません。
ただし、お金をいただけることはお客様からの「ありがとう」の数だと考えています。絶対にその順番を間違えず、「ありがとう」をたくさんいただけるようなサービスにしていきたいです。
正直、自分ではあまりスピード感があるとは思っておらず、むしろ遅いと感じています。時系列で言うと、2024年12月にアイデアが生まれ、2025年4月に登記、6月に採択、7月にも採択と、他社からの評価だけ見るとスピード感があるように見えるかもしれません。しかし、我々がやりたい「特別なお出かけにサポーターを手配する」という事業自体はまだ構想段階で、何もできていません。もっと頑張りたいと思っています。
もしスピード感の要因を挙げるとすれば、「とりあえずやってみる」という姿勢がそう見えているのかもしれません。私も安田も、机で考えるより「とりあえず行ってみよう」というスタンスです。
静岡県の三島市や長野県の南箕輪村にも「とりあえず行きます」という形ですぐに足を運びます。行動、移動ができているからこそ、そう見えるのかもしれません。
最近、WHILL(ウィル)という電動車椅子に乗ったことによって、移動がさらにしやすくなったというところも要因だと思います。今までであれば、少し坂道があると、なかなか遠くまで行けなかったり、疲れが溜まってしまったりでしたが、電動車椅子になったことによって、どこへでも行けるようになりました。
その分、出張にも行きやすいです。テクノロジーの進化のおかげで、健常な方と同じようにあちこち飛び回る生活が実現できているという感じだと思います。それも要因の一つかなと思っています。
我々はお出かけの自由をつくるというところで、「HELPUSHする」という文化を作り、共通言語を生み出していくことで、HELPUSHに関わってくれた皆さんの人生を広げていきたいです。
私のように移動が難しくなって落ち込み、家の中に引きこもってしまったり、なかなか外との交流が取れなかったりするような人が、HELPUSHのお出かけサービスを使って、多くの素敵な方々と出会い、「もう一回ちょっと立ち上がってみようかな」とか、「まだまだ自分はやれる気がする」という形で、より人生を前向きに捉えられるようになってほしいです。
お出かけをきっかけに何か成功体験ができたり、例えば、家族と笑顔の会話が増えたり、彼女や彼氏ができたり、望む企業に就職できたり、来年も別の場所に観光したいと思えるようになったり、HELPUSHに出会う前の人生と出会ってからの人生を比べて、出会ってからの方がすごくワクワクできる人生になった、広がった、というふうになってもらえるように、私たちは事業をしっかり創っていきたいなと思っています。
HELPUSHの事業は、寺田ユースケという人間がたくさんの方々に支えていただいた35年間の集大成です。そこに妻が再起のきっかけをくれ、安田が人生を賭けて共に挑戦してくれて、多くの周りの方々にサポートしてもらいながら進めております。
ぜひ、サービスがローンチできた暁には、周りの移動ができなくて苦しんでいる障害当事者や高齢者の方々、お出かけをしたいなと思っているような方々がいらっしゃったら、ぜひHELPUSHをおすすめしてもらえると嬉しいなと思っております。また、少しでも私たちのビジョンに共感いただけたら、お気軽にご連絡をいただけると嬉しいです。
読んでいただき、ありがとうございました。

企業名 : 株式会社HELPUSH
代表者 : 寺田 ユースケ(本名:寺田湧将)
所在地 : 東京都品川区東品川2-6-4 寺田倉庫G1ビル2階
設立 : 2025年4月15日
従業員数: 2名
事業内容: ・外出支援プラットフォームの企画運営 ・PR企画、クリエイティブ企画制作およびマーケティング支援事業 ・ユニバーサルツーリズム推進およびプロデュース事業 ・インクルーシブデザイン事業
URL : https://helpush.co.jp/